産業医は会社と契約し、会社から報酬を受け取る。この構造だけ見れば「会社側の人間」に見えるかもしれない。実際、初めて面談に来た従業員の方から「会社に全部筒抜けになるんでしょう?」と聞かれることは珍しくない。
その疑念は、ある意味で正当だと思う。だから私はこう答えることにしている。
「私は会社に雇われていますが、会社の利益のために動くわけではありません。あなたの健康を守ることが私の仕事です。そしてそれが、長期的には会社のためにもなる」
産業医の「守秘義務」と「報告義務」
産業医には守秘義務がある。面談で聞いた個人的な内容を会社に漏らすことは、原則としてしない。ただし例外もある——本人の同意がある場合、または生命に関わる重大なリスクがある場合だ。
一方で、就業上の配慮が必要と判断した場合、産業医は会社に意見を述べる義務もある。「休業が必要」「業務を軽減すべき」という意見は、本人の名前とともに会社に伝わる。
この両立は難しい。そして、その難しさを正直に伝えることが信頼の出発点だと思っている。
会社から「都合の良い意見」を求められたとき
稀に、こういう依頼が来ることがある。「この社員を早く復職させてほしい」「この人は問題社員だから就業制限をつけてほしい」——。
どちらも、医学的判断とは別の動機から来るものだ。そういうとき、私は穏やかにしかし明確に断る。産業医の意見が会社の都合に左右されるなら、その意見はもはや医学的判断ではなくなる。そしてそれは、会社にとっても長期的には損失になる。
従業員が「産業医は会社の道具ではない」と信頼できてはじめて、本音を話してくれる。本音が聞けてはじめて、適切な判断ができる。信頼なき産業医面談は、形だけの法令遵守にすぎない。
「中立」とは「どちらの味方でもない」ではない
中立というと、どちらにも肩入れしない曖昧な立場のように聞こえる。しかし私が意識しているのは、「健康という軸を中心に、会社と従業員の両方を見る」という姿勢だ。
従業員の健康を守ることは、生産性・離職率・職場の雰囲気に直結する。だから従業員を守ることは、そのまま会社の利益にもなる。この視点を持てば、「中立」とは対立の回避ではなく、共通利益の実現だということがわかる。
それが、私が産業医という仕事に面白さを感じる理由の一つでもある。